7月23日に当院創設者 中村 裕の没後35年を迎えます。〝東京2020オリンピック・パラリンピック〟を来年に控え、1964年の東京パラリンピックを実現し、日本初の福祉工場『太陽の家』を創設した中村裕の生き方や考え方が再び注目されています。〝太陽を愛したひと〟中村裕は57歳という若さで亡くなりました。生前彼が思い描いていたこと、実現を夢見ていた社会・・・私たちは、今一度そのことに思いを馳せ、そして、彼がやり残したことは何か、私たちが今後取り組むべきことは何か、改めて確認することが大切だと思います。
「私にとって、そしておそらく、全世界のリハビリテーションに携わる者にとって、世界中の障がい者のために心魂を捧げた男〝中村裕〟はひとつの伝説である。」 ―ハリー・ファン―
「自分より少しだけ不幸な人の、幸福のために働き戦うことは価値のあることだ。そして、困難なことでも、熱意ある人々が力を合わせればなんとかなる。」 ―中村 裕―
「No Charity, but a Chance!~保護より機会を~」―中村 裕―
1960年 英国ストークマンデビル病院にて 恩師グットマン博士と
ネパールの少女の足の手術を終えて
昨年夏に放送されたNHKテレビドラマ『太陽を愛したひと』