創設者 中村 裕について
創設者 中村 裕
1951年 | 九州大学医学部卒業 同大学整形外科医局に入局 |
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1960年 | 英国ストーク・マンデビル病院に留学 |
1961年 | 第1回大分県身体障害者体育大会を開催 |
1964年 | 東京パラリンピックの日本選手団長を務める(以降、1980年までの全ての夏季パラリンピックの団長を務める) |
1965年 | 大分県別府市に、障がい者の自立を目的とした「社会福祉法人 太陽の家」を設立 |
1975年 | 第1回極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会(フェスピック)開催 |
1981年 | 第1回大分国際車いすマラソン大会の開催に尽力 |
1984年 | 死去 享年57 |
- 創設者 中村 裕
- (1927年~1984年)
当院は、1974年1月に創設者であり前理事長である中村裕により開設されました。中村裕は、日本ではまだ「リハビリテーション」という言葉も普及していなかった昭和30年代に当時の医療先進国イギリスに渡り、最新の医療事情、特に障がい者の社会復帰のためのリハビリテーションと障がい者スポーツを学びました。その経験を日本に持ち帰り、1965年に障がい者の社会復帰を支援する社会福祉法人「太陽の家」を創設しました。整形外科の医師としては、大分中村病院(1966年12月)と明野中央病院という2つの病院を開設し、障がい者スポーツの分野では、東京パラリンピックや極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会(フェスピック)などの開催に尽力しました。1981年の国際障害者年を記念して中村の提唱により始まった「大分国際車いすマラソン大会」は、すでに長い歴史を刻み、今では世界最高レベルの障がい者スポーツ大会として世界中の車いすアスリートの目標となっています。
1960年 英国ストーク・マンデビル病院にて
左はパラリンピック提唱者ルードヴィッヒ・グットマン博士
「私にとって、そしておそらく、全世界のリハビリテーションに携わる者にとって、世界中の障がい者のために心魂を捧げた男〝中村裕〟はひとつの伝説である。」 ―ハリー・ファン―
「自分より少しだけ不幸な人の、幸福のために働き戦うことは価値のあることだ。そして、困難なことでも、熱意ある人々が力を合わせればなんとかなる。」 ―中村 裕―
中村裕に関する主な書籍
中村裕伝
作家、水上勉監修による中村裕の生涯を克明に描いた伝記。非売品
太陽の仲間たちよ
日本の障がい者福祉の歴史に大きな足跡を残す「太陽の家」創設。中村裕本人が綴った開設から10年間の軌跡
太陽の仲間たちよ(コミック)
少年マガジンに掲載されたドキュメントコミック。中村裕の生涯をわかりやすく描いた感動のコミック本
すすめ、太陽をあびて
中村裕の生涯をわかりやすく描いた子供向けの図書。PHPこころのノンフィクションシリーズ
博士の遺言
中村裕の歩いた足跡をたどり、日本の障がい者福祉の現状と問題、将来を展望する大分合同新聞社取材による報道企画
病院1階の待合室に創設者・中村裕を紹介するコーナーを設けています